医療教育情報センター

患者中心の全人的医療

 わが国では今、医療崩壊が進んでいる。歯止めの効かない医療費高騰に対して政府が打ち出した医療費抑制政策と新しい医師の卒後臨床研修制度の発足がきっかけとなって、いろいろな分野における医師不足が喫緊の問題となっている。具体的には、産婦人科、小児科など特定の診療科での医師不足、地方医療機関からの医師引き上げや病院から医師が辞めていくことなどがある。
 原因としてはいろいろ考えられるが、医療が高度になり細分化が進むなかで、すべての国民がいつでもどこでも最高の専門医療を受けたいと考えるようになったことが大きい。専門医を増やすには際限がないし、養成には長い時間がかかる。仮に、実現されたとしても、国民の満足感は充たされないのは明かである。
 理由は、我が国は高齢社会となり、医療の主な対象は感染症のような急性疾患から生活習慣病を中心とする慢性疾患に変わっていることである。専門診療が得意とする病気中心、臓器中心の専門医だけでは十分に対応できない。生活習慣病は基本的に治らない。患者が病気を受け入れ、自らコントロールしていくべきものである。この際、医師は伴走者のよう役割を果たし、主役となるのは患者である。
 このような観点からすると、目下、真に不足し求められている医師は、同じ病気であっても病人の側から全人的に診ることができる医師である。エビデンス(証拠)を重視し、普遍性をもつた西洋医学により身体を診ると共に、患者を個別的に精神心理面や社会面からも診療する。
 全人的にアプローチする医療には様々なものがあり、プライマリ・ケア、ホリスティック医学、総合診療などがこれに含まれる。それぞれ特徴があるが、共通するのは次の点である。患者の健康問題をbiological(生物学的)、psychological(心理的)、social(社会的)、ethical(倫理的)な諸側面から多面的に検討して解決しようとするものである(医学書院 医学大事典)。全人的医療のethicalな面 については、これを含まない場合と含む場合がある。通常、spiritual careとされ、本欄でくわしく紹介されているところである(No054r;2008/09/29) 。
 スピリチュアルケアを重視する全人的医療に、永田勝太郎氏(日本実存療法学会会長)が主宰する全人的医療がある。「身体、心理、社会、実存」という4つの側面から人間を理解することを提案している。この場合の「実存」とは、「個々の人間には独自の生きる意味があり、人間はこれを追求する存在である」ということである、これが人間の行動を規定する根底にあり、重篤な疾病や末期状態などの危機的状況になっても、患者が生きる意味を自覚すれば新しい展開が拓かれるという(永田勝太郎『新しい医療とは何か』(NHKブックス)。ちなみに、永田氏は、ユダヤ人としてアウシュヴィッツの強制収容所に収容された体験を持つ精神科医のフランクルと長年の交流があり、「フランクル賞」を受賞している。
 医師不足問題に還れば、病院を辞めた医師が専門医として開業していることがある。地域医療を担うのであれば、自分の専門を基盤にしながらも、ホームドクターとして全人的に診療する姿勢が求められる。同時に、国民も臓器別専門医は優れた医師であるという思いこみをなくすパラダイムシフトが不可欠であるといえる。(TI


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(No056r;2008/11/21)

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