医療教育情報センター

日本の医療 その功と矛盾

 友人に聞いた話であるが、オレゴン・ルールという経済の法則があると言う。そのルールとは、経済学的に三つ要件がありその三つを全て満足することは出来ないという。
 三つの要件とは、
@ 価格が安い( low cost)、
A 高品質 (high quality)、
B アクセスが容易 (easy access)の三つであると言う。
 高品質のものはアクセスを容易にすればするほど、支店の数は増え、品物を安価で売ることは出来ない。もちろん素材の仕入れ価格は高くつき、熟練した技術者や職人は寡少であり、高賃金でなければ人材を集められない。安価でアクセスが容易なお店、例えばスーパーマーケットやコンビニには高品質の品物は置いていない。高品質の商品を安く売れば、倒産は必至である。最近の文芸春秋に「ユニクロ栄えて、国滅ぶ」という記事が載っていた。ローマ在住の歴史作家 塩野七生さんも同様のエッセイを文芸春秋誌上で書いておられる。特に芸術的、文化的に優れたものは安価では出来ない。優れた芸術家や熟練した匠はもはや日本には生まれないのではないかと言う危機感である。しかしそれはユニクロの責任ではない。国の文化とは何かを忘れ、金銭に走る国民的な意識への警鐘である。
 しかし世界のなかに例外もある・・・・・そのようは奇跡が世界のどの国にどのような形で存在しているのであろうか?
 その答は日本の医療!である(片山容一日本大学医学部長の弁)。日本の医療は国民皆保険と言う社会主義的統制経済である。そのお陰でLow Costである。GDP(Gross Domestic Product)に占める医療費はOECD(Organization for Economic Cooperation and Development)加入国のなかで日本は最低(アメリカ、ドイツ、フランス、カナダ、オーストラリア、スウエーデン、オランダ、イタリア、イギリス、日本の順)である。すなわちお金持ちなのに医療費は世界一安い。医療費とは医療機関への健康保険からの診療報酬を含めての話である。患者さんの自己負担額の話ではない。
 日本の乳児死亡率は世界最低で、平均寿命(ゼロ歳時の平均余命)は世界最高であり、WHO(World Health Organization)によれば質の良い医療を国民全員への普遍的に提供している国であり、多くの高齢者は健康で幸福感のある生活を送っていると言う。すなわちHigh Qualityである。誰でも、何処でも、何時でも、健康保険証を持って行けば(Easy Access)、世界の先進国のなかではかなり安価(Low Cost)で容易に(Easy Access)、良質(High Quality)の医療を受けられる珍しい国である。
 ここでクイズです。私は4年前に区の無料健康診査(区民の税金のお陰で無料)で突然切迫心筋梗塞を見つけて頂き、その夜心臓の冠動脈バイパス緊急手術(血管を4本移植)を受けた。恐らく徹夜の手術であったろう。冠動脈シネ血管造影を含む術前の諸検査、人工心肺下の手術、術後約10日間個室に入院。麻酔医、放射線科医と放射線技師、循環器内科と心臓外科の医師達(たぶん10名以上は動員されている)、多くの救命救急センターや手術部の看護師さん、人工心肺を操作する臨床工学士、当直の事務職員、臨床検査技士の皆さん、更には日夜世話をして下さった病棟の心優しい看護師さんたち、約10日間の3食付入院であった。これらの人々のうちには時間外手当など貰っていない人も居たであろう。さて退院時に自己負担分の医療費を幾ら払ったでしょうか?(大学関係者だからといって値引きは全くありません)。それはアメリカの医療費に比べれば驚異的な安さで、自己負担は約12万円でした。日本の旅館の宿泊費より安い。アメリカであれば恐らく数百万円以上であったであろう。
 アメリカでは、健康保険は任意加入で、健康保険に入っていない人が約4千7百万人いるそうである。それらの人達は自費で医療を受けるか、お金の無い人は医療機関へ行かないかを選択しなければならない。クリントン政権時代にヒラリー・クリントン大統領夫人は国民皆保険制度の導入を試みたが、失敗に終わっている。オバマ大統領もその実現を考えており、最近そのための法案が議会を通過した。現在のアメリカの総医療費のままで、国民皆保険に踏み切れば国家財政に大きく影響するので、その具体的対応が注目される。税の増収を図るか、総医療費の抑制を図るか、軍事費や対外援助費などを削減して財源確保を図るか、日本を含めて大きな影響を世界にもたらすものとなるかも知れない。

 日本の医療はオレゴン・ルール3要件を全て超越した。だけど矛盾だらけ!

 誰でも容易に病院・医院へ行ける、そして高齢化社会だから医療費の総額は増え続ける。世界的にみて日本は重税国ではない。北欧では消費税25%位で、フランスやドイツも20%弱であり、普通の収入の人でも所得税は高い。だから福祉国家を形成できる。日本の軍事費は自由経済の国(中国、ロシア、北朝鮮などを除く)で4位(アメリカ、イギリス、フランス、日本の順)ではあるが、その約6割は人件費で、装備や開発などの真の軍備費は少ないという特殊な国である。
 日本は長期計画がない社会である。例えば約10年前、私が未だ大学に居た頃文部省の医学教育課長が来て、医学部の入学定員を減らせと言ってきた。即座に拒否したが、その後5年位経ったら医師が足りないから、定員をふやせと言ってきた。医学部に入学すると卒業まで6年、初期研修2年その後専門医資格を得るために数年間の後期研修を経て、漸く中堅の医師として活躍できる。すなわち定員を増やしてもその後15年位経たないと第一線の医師として働けない。歯科医師が過剰だから、歯学部定員が大きな問題となっているが、その定員を認可したのは文部科学省であり、議員達である。その議員を選んだのは国民である。
 日本には、将来を見越した統合された専門医制度が無い。医学部を卒業し、初期研修を修了すると、どの専門診療科を選択するかは個人の意思によって決定する。人間誰しも、高収入で、時間の余裕があり、事故などリスクの少ない科を選び、子供の教育を考えると都会に住みたいと思うのは人情である。誰もそれを責めることはできまい。だから小児科、産婦人科、麻酔科、放射線科、救命救急科、病理診断科、臨床検査科或いは地域医療を志す医師は少ない。 オレゴン・ルール3条件を全て満足している奇跡を達成している理由の一つは医療機関とその従事者の知力、労力そして労働時間を度外視した献身的努力にある。しかしこれを美徳であると受け止める風潮は日本では完全に薄れてしまったようである。医者バッシングは未だ続いているようである。(IS

(No069r;2010/01/15)


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