医療教育情報センター

No102 内視鏡手術と低侵襲 −その背景−

 身体のいろいろな部位に対して内視鏡手術が行われるようになった。従来の外科手術は病気のところを切り取って、命を助けるのだから体にある程度創をつけるのは致し方ないという考え方が支配的であった。それは医学という科学、患者さんの命を救おうとする医療の進歩の一過程として重要なものであったし、現在でもなお重要な位置を占めている。しかし大きな手術を受けると病気は治っても言葉では適切に言い表せない不快な症状が起こる。大きな手術を受けると、何年にもわたって体の調子が悪いということがあっても、命が助かったのだから我慢しようという雰囲気が強かったし、学生時代には外科手術は欠損治癒(Defekt-heilung)であると教授に言われたこともある。
 昔、侍が戦争で創を負った後に、何年もたってからでも温泉で心身を癒したという話がある。“信玄の隠し湯”などはその間の事情を物語っている。おそらく負傷した時(手術も一種の負傷である)肉眼で見えないような細い神経の網が傷害されたりして、知覚の異常や自律神経の異常が起こるのであろう。その異常は、人類が現在持っている臨床検査の手段では測ることは出来ない。血糖値やコレステロール値は生化学的に測って数値で表すことができるが、痛みの強さや痛みの種類を数値で表すことはできない。とても痛いとか、しくしくするとか表現せざるを得ない。口では上手く表現できないが、不快な感じを自覚するのを“不定愁訴”と呼んでいる。大手術の後に続く不快な症状、“不定愁訴”は、数値で表されないのだから、医師にはなかなかその内容を理解できない。だから命が助かったのだから我慢しようという心理が生まれたのであろう。そのような症状を軽減しようという考えがQuality of Life(生活の質)という概念を生んだ理由の一つであり、東洋医学(漢方)は科学的・合理的にその理由を解明できていなくても、経験的に分かっていたのであろう。
 内視鏡を使って、大きく胸や腹を切開することなしに手術が出来るようになった。これは創口が小さくて済むので、侵襲が少ないという大きな利点がある。手術後の長期に残る体の不調が大きく軽減されたのである。
 内視鏡が発達した背景には、カメラ技術の進歩(日本の貢献が大きい)やグラスファイバ−が大きな力として存在している。光線は直線で進むが、ガラスファイバ−を使うことによって、観察している対象の画像(光線)を曲りながらでも送ることができる。グラスファイバ−のない頃の内視鏡は金属なので、真っ直ぐな金属の管を胃の中に飲み込まされたのである。今の内視鏡が自由自在に曲がるのはグラスファイバ−のお陰である。超小型のTVカメラも開発され、その画像はテレビモニタ−によって大勢の医師達が同時に観察し、リアルタイムで討論できる。医学は医学者の力のみで進歩するものではない。(IS


内視鏡手術 外科的侵襲 生活の質 不定愁訴 欠損治癒
(No102n;2008/07/11)


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